
1965年出生在东京横滨。1972年跟随父亲到前西德工作,并首次作曲,这首曲子是写给她祖母的,名字叫做“谢谢你,再见”。她在西德一直待到初中毕业才返回日本。她会喜欢上音乐,完全是受到身为歌剧和古典音乐爱好者的父亲的影响,7岁那年她就开始学习钢琴并在课余时间为父亲伴奏。
东京都立国立高等学校以及津田塾大学文学部英文学科毕业后,梶浦进入了日本最大的移动通信运营商NTT社工作,再后来专职成为音乐制作人至今。

试听:晓の车 [钢琴版]

试听:晓の车 -<FictionJunction YUUKA(南里侑香)>

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歌词:晓の车[日]
风(かぜ)さそう木荫(こかげ)に俯(うつぶ)せて泣(な)いてる
见(み)も知(し)らぬ私(わたし)を私(わたし)が见(み)ていた
逝(ゆ)く人(ひと)の调(しら)べを奏(かな)でるギターラ
来(こ)ぬ人(ひと)の叹(なげ)きに星(ほし)は落(お)ちて
行(ゆ)かないで、どんなに叫(さけ)んでも
オレンジの花(はな)びら静(しず)かに揺(ゆ)れるだけ
やわらかな额(ひたい)に残(のこ)された
手(て)のひらの记忆(きおく)遥(はる)か
とこしえのさよならつま弾(び)く
优(やさ)しい手(て)にすがる子供(こども)の心(こころ)を
燃(も)えさかる车轮(くるま)は振(ふ)り払(はら)い进(すす)む
逝(ゆ)く人(ひと)の叹(なげ)きを奏(かな)でてギターラ
胸(むね)の糸(いと)激(はげ)しく掻(か)き鸣(な)らして
哀(かな)しみに染(そ)まらない白(しろ)さで
オレンジの花(はな)びら揺(ゆ)れてた夏(なつ)の影(かげ)に
やわらかな额(ひたい)を失(な)くしても
赤(あか)く染(そ)めた砂(すな)遥(はる)か越(こ)えて行(ゆ)く
さよならのリズム
想(おも)い出(で)を焼(や)き尽(す)くして进(すす)む大地(だいち)に
懐(なつ)かしく芽吹(めぶ)いて行(ゆ)くものがあるの
暁(あかつき)の车(くるま)を见送(みおく)って
オレンジの花(はな)びら揺(ゆ)れてる今(いま)も何処(どこ)か
いつか见(み)た安(やす)らかな夜明(よあ)けを
もう一度(いちど)手(て)にするまで
消(け)さないで灯火(ともしび)
车轮(くるま)は廻(まわ)るよ
晓の车[中]
俯卧在随风其舞的树阴下哭泣着
望着那个素不相识的自己
吉他为逝去的人而弹奏
流星因不归之人而陨落
"不要离我而去" 即使是这样恳求
也只是换来橙色花瓣的静静摇曳
遗留在稚嫩脸庞上的 手掌中的记忆
已渐远去 指尖弹奏出离别的旋律
依靠在你温柔肩膀上的少儿之心
被呼啸的车轮无情地抛开
吉他弹奏出逝人的叹息
拨弄着心弦无法平静
在未被悲伤沾染的洁白上映出了
摇曳着橙黄花瓣的夏日之影
即使脸庞不再稚嫩
也能跨越那被夕阳染红的沙滩
离别的旋律 在回忆燃烧殆尽的大地上
怀念的嫩芽正在破土而出
目送拂晓的列车
橙色的花瓣现在又在何处摇曳
在已迎接过无数次的黎明
再次来临之前
不要熄灭手中的灯火
车轮啊 旋转吧
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